メールの返信がめんどくさい話

メールの返信ができない。ラインの返信もできない。

できない、ということがどういうことかというと、物理的に行動不能、というわけではなく「やりたくない」の極致だと思う。意思ならやれよ、とうちの両親は思うだろうけど、断固としてやりたくないのだ。

たとえば人はウンコを食いたくない。それと似たレベルだ。ウンコが食いたくない、メールの返信がしたくない。

私は都内で一人暮らししている癖に、週三でアルバイト、残りはダラダラするという極楽糞ニートみたいな生活をしている。一応本職というか、肩書みたいなものは別にあって、体裁としてはその為の週三アルバイトなのだけど、その本職が馬鹿みたいにお金にならないのでいい年して親の脛かじりに徹している。
そして、そのしなきゃいけないメールの返信というのが、そのクソみたいにお金にならない本職に直結していて、つまり依頼だったり打ち合わせのメールだ。
本業なんだったらしっかりやれよ、と家賃を払ってくれてるうちの両親は思うだろう。でも私の本業はメールの返信ではない。メールの返信の先にあるものが私の仕事だ。

本当にままならない。ウンコ食べたくない、と泣いて喚いて、下手すると一週間くらい放置してしまう。催促のメールが来ると、びびって泣きながら慌てて返す。泣いている下りは誇張だけど、気持ち的にはいつも泣いている。近所に住んでいる親友の家にいかないと返信できない。この文面で失礼がないか、なんども確認してもらってようやく送信する。一通のメールに最低1時間はかかる。

本当に嫌だ。中学生くらいの頃、メールの返信の即レスポンスを他人に期待しちゃいけません、って習わなかったのかよ。人にはそれぞれ流れる時間が違うんだよ。体調や気分もあるし。
すぐに返事が来ないと色々滞るのは分かる。特に私の場合は、返事の早さ遅さで他の人に仕事を取られる可能性も大いにある。つまり、レスポンスの早さが、私の脱ニート生活に終止符を打つ可能性だってある。

それでも返信したくない。

まずメールを打っていると、日本語がよくわからなくなってくる。そもそも日常で、他人とそんなに会話しない。一番会話するのは、週1くらいで会ってる、同じく極楽糞ニートの親友だ。でもニート同士の会話なんて日本語じゃない。共通言語である記号をぶつけあってニヤニヤしてるだけだ。まったく日本語じゃない。
小さい頃、敬語は周りより得意だと思っていた。というのも、日本についての知識が小説とかマンガでしかないマジモンの帰国子女だったので、年上には敬語、というマンガから得た固定概念から、周りが先生に対してタメ口で喋ってるのに対して徹底的に敬語を使って、結果先生からべた褒めされていたから。そのせいだけじゃないけど、教室ではすごい浮いていじめられてた。正直褒めるんじゃなくて浮いてるの教えてほしかった。
当時は周りの純ジャパ(この単語ほんとひでえよな)よりも日本語できている自負が強くて、国語も勉強しなくても良い点数取れていたので、最近まで自分の日本語超正しい、と思っていた。
でもここ数年で、仕事のメールを送ることが多くなって、その過程で人にメールの文面について指摘されることが増えた。
メールでも最初は○○様、って名前を書くのがマナーだよ、とか、ご連絡いたします、の「ご」はいらない、とか、お疲れ様です、っていうのは良くないワードだよ、とか。
お仕事メールについての知識がゼロだったので、めちゃくちゃ勉強になったし、ご指摘くださりありがとうございます!だったのだけど、段々、仕事先によってマナーが違うことが分かってきて、教えてもらったマナーがどこにでも当てはまるわけではないことを理解し始めたあたりで、返信が億劫になってきた。
敬語ってなんやかんや雰囲気だ。具体的なルールっていうより、あちらさんの敬語レベルによって使い分けるのが正解だし、何故か地位のある人ほど敬語がルーズ。
それでも敬語(というかマナー)警察は唐突に現れて、めちゃくちゃに叱りつけてくる(大体、ご連絡さしあげます、の「ご」がいらん、とかそんな程度)。「そんなんじゃこの業界でやってけないよ!」と言われるけど、そもそもお前と私は業種違うだろ!!!!メールの返信が上手な人間ほど仕事できる法則でもあるのか!!!!?と思う。
相手に対して、敬意は常に持っているようにしている。もうそれだけでいいじゃん。細かい言葉のチョイスとかいいじゃん。敬語の本とか読んだけど、逆にこれ慇懃無礼だろ、という例文も多い。もう意味さえ伝わりゃあいいじゃん。
なんか文面一つで、相手が不快に思う可能性があると思うと、益々億劫になる。こっちには一ミリもそんな気がないのに、「そうしましたら、その件についてこちらで対応させていただきます」とかの一文の「そうしましたら」にムムッとなられたりする可能性があるっていうことが嫌なのだ。思い込み過ぎだよ、とうちの両親は優しく諭すだろう。私もそう思う。だけど実際、両手で数える回数、「わたしあなたのメールの『そうしましたら(的な言葉)』にムムッとしました、今後そういう言葉遣いはやめろ」的なことを言われて、その経験によって学習した結果の億劫さなのだ。
こういうのは、トライアンドエラーを重ねて上達していくものだと思う。だけど、なんか人それぞれエラーポイントが違うんじゃあ、どうしようもないじゃないか。計測がガタガタだよ。
私は、謝るのが本当に嫌いだ。特に、私そんなに悪くない、という時とかは謝りたくない。私にだって尊厳がある。例えば、先方に対して「社長の奥さんめっちゃエロいっすね」とか送って怒られたら、謝る。ある種、“普遍的な配慮(つまり、今までの日本における社会経験で、多くの人が具体的にアウトって思いそうなゾーン)”に欠けているから。ただ、「そうしましたら、その件についてこちらで対応させていただきます」で、「そうしましたらってなんだよ」と言われても、それはテメーの個人的な配慮だろ、と思う。そんなこと言い出したら「〜と思う。〜と思う。」と続くほうが日本語的に美しくないだろ!と私は言い出すぞ!と思う。言い出さないのは、それが本題ではないからだ。そういう配慮は、まったく本題ではない。

つまり、あなたの、個人的な配慮のために時間をかけてメールなりラインなりをするのがめんどうくさいのだ。
個人的な配慮。これは、文面だけでなくて、普段のコミュニケーションの場でもよくある。地雷とも言う。「先輩の彼女、顔面兵器じゃないっすか!」と言って怒られるのは“普遍的な配慮”に欠けていると分かるから理解できる。でも、「今日雨なんですって〜」と言って急に不機嫌になられるのは、きついし面倒くさい。

一生ニートは嫌だし、ちゃんと家賃も自分で払いたいけど、メールの返信がしたくない。ラインの返信がしたくない。
お金稼げるようになったら、絶対メール担当を雇う。そんな日が来ればいいな。