今日はつらくなかった話

ここのところ毎日ブログ書いてて偉いと思う。でも誰にもブログやってること伝えてないので、インターネットの宇宙を彷徨う文章群だ。超漂ってる。

昨日は非常につらくて、今朝もまだつらかったんだけど、でも今日あった打ち合わせが楽しかったので今はさほどつらくない。
楽しかった、というのは、自分の分野について好き勝手楽しく喋り散らせたからだ。エゴイスティックな悦びだなあ。

「雑談が本当にできない」というのは、相手が求めている情報が分からないからで、友人に「コミュニケーションって別に有益な情報の交換会じゃないからね」と言われてそれはまあ理解しているんだけど(この友人の話から推測するに、重要なのは“感情の分かち合い”なんだと思う。えーすごい!うわーやばいね!げーやっちゃった!わあかわいい!みたいなことかなあ、これらの情報を他人とシェアし続けることで、人は楽しくなるのかな…)、この丸括弧の中で、結局全然理解できていないことが分かったので、多分まだそこがよくわかってないから雑談がいつまでたっても下手なんだと思う。感情の分かち合いの意義。

でもその代わり、自分の本業の、学術的な話とかなら、人とうまくコミュニケーションできることが分かった。例えば今日。今日は正直一方的に喋りすぎて、相手の話遮りまくってて全然うまくいってなかった。私の公開オナニーみたいになってて良くなかったと思う。でも、その話の前の雑談(最近どうですか〜みたいな)の時のしどろもどろさというか、空気読めてない感じよりかは、心証良かったんじゃないかな。どうだろう。それは主観的に判断できない。
というか、話してて楽しかったし、相手も好意的な言葉を返してくれた(でもすごい褒める人だったから、どこまで本当かはわからないし、もう片方の方は途中から「何言ってんだコイツ」みたいな顔してた)。

とにかく、昨日までのコミュニケーションつらい、こわい、何が正解か分からない状態から、コミュニケーションたのしい!しゃべるの楽しい!に変わったので、こういう体験を積み重ねることができたらいいんだろうなあ。難しいな。

一昨年くらいに留学してたときは、しゃべるのめちゃくちゃ楽しかったんだけどなあ。ろくに知識もない世界情勢とか国際問題について、イタリア人とロシア人の女の子とベラベラしゃべってたなあ。あと、前向きなキャリアの話できたから楽しかった。あの頃は本当に楽しかった。彼女らは元気だろうか。