本読んだ話①

都民なので今日は選挙に行ってきて、選挙行く前と行った後に、親友から貰ったさくらんぼをつまみながら、又吉直樹の「劇場」を読んだ。

エッセイや論文っぽい本は好きだけど、小説は苦手だ。
行間に作者がふっと立ち現れる気がして、ついつい「ああこの作者はこういうプレイが好きなのか…」って作中で起こる事象と作者を関連づけてしまって辛くなる。

又吉直樹の火花は、出版された直後に読んだ。
火花は、好きなだけ筆者と関連付けてください!というか僕です!!みたいな感じだったからすごく楽に読めた。

そもそも、10代の頃、お笑いが好きだった。最初はネタだけ見ていたけど、オタクなので、だんだんと好きな芸人のブログを追ったりするようになった。
一番読んでいたのは、オードリー若林のどろだんご日記だった。ある日の記事の本文が「地球割れろ」だけで、それがすごい鮮烈だった。

10代の頃、家にも学校にも居場所もない、コミュ障で空気が読めない、自意識大爆発で友達もいない、とないない尽くしで鬱々とした日々を過ごしていたから、彼らのそういうロックな日記を読んで、こういう人も世の中に存在するなら、もうちょっと生きてみるか!と前向きな気持ちになった。

ピース又吉はブログよりも、当時吉本から発行されていた雑誌に載っていた東京百景の連載が好きだった。学校帰りの駅の本屋で、金がないからそこだけ立ち読みしていたのを覚えている。くるりの「東京」を聴く度、ぴょんぴょんと飛び跳ねる又吉が脳裏に浮かぶ。
鬱屈とした10代の時期に、寄り添ってくれたのが、オードリー若林であったり、ピース又吉たち、吹き溜まっている芸人たちの鬱屈とした文章だった。
私が火花を読んだ時にひどく胸を打たれたのは、彼の文章に救済されていたから、というのもあると思う。
もちろんそうでなくても、最後、先輩の神谷が豊胸手術をしてしまったシーンは本当に訳が分からなくて涙が溢れた。でもやっぱり、文章にこびりついている血や肉の跡みたいなものがなかったら、火花を良いと思わなかった気がする。自意識も痛々しさも昏い時代も突きぬけて、すべて肯定してみせる潔さが美しいと思った。

劇場も、自意識に足を掬われたり、他人から評価されない、いわゆる“成功できなかった”人生を肯定しようとする作品だと思う。この物語が終わった後、最後に主人公がヒロインに語った、ララランド的if人生を歩む可能性は0ではないけど、そうならなくてもたった一回限りの人生は等しく美しい。

全体的に、何か大きな出来事が起こったわけでもなく、主人公最初と最後でなんも成長してなかったから、ヒロインに後半「わたしもう27だよ?」と言われて「もうそんなになったの!?」とびっくりした。
でも、多分その成長しなさが大事なんだろうな。火花も確か、神谷全然成長してなかったし(豊胸はしたけど)。むしろ本谷有希子の小説みたいに、そんな簡単に人間変えられるわけねえだろうが!っていうことなんだろうな。
でもまあ、ワガママだよなあ。なんやかんや変えられない・変わらない自分に対しての自己愛がすごい。周りにいる、言うことめっちゃ面白いけど超ワガママな奴らを投影してしまって、まあそういうやつと付き合うとこうなるよな…と思った。
なんかこの記事書き出して、知らん間に4時間くらい経ってるので、思い出したら明日また書く。過去の思い出なんてかかんときゃよかった。

火花の時も思ったけど、ヒロインがやったらいい子で、あと美人で、ポパイ読んでるような男子はこういう女の子を求めているのかな、と思った。こういう女の子か、めっちゃ振り回してくる女の子かな。主人公が支配欲に駆られてDVっぽくなってる内面描写がリアルで良かった。