水を飲む話

水を飲んでいる。近所のスーパーで汲んできた水だ。無料で2L。蛇口を捻っても水は出る。でもわざわざ近所のスーパーで汲んでくる。

洗わないとコップがもうないので、お茶碗に入れて水を飲む。むかし百均で買った猫の顔が描かれた茶碗。水を注ぐと猫は溺れる。

水はおいしい。なんともいえない味をしている。咀嚼するのは嫌いだけど飲むのは好きだ。高校時代、弁当を作れない代わりにと母親から千円渡され、リプトンのピーチティーと飲むヨーグルト、それから野菜ジュースを買った。近くに座っていた人に「おまえ昼ごはんは?」と聞かれて、その時たべものがないことに気がついた。

その、近くに座っていた人はたしか友達だったと思う。名前も顔も思い出せないけど、確か優しくしてくれたひとだ。
最近自分の、こういう、他人をすぐに忘れるところに嫌気が差している。当時は人と関わることで傷つくことがあまりに多かったので、他人の顔や名前、存在自体をすぐに忘れることは、自分が傷つかないための方策だったのだろうと思う。
でも思春期を大きく過ぎて、十分耐えられるようになった今でもいとも簡単に「その人だれだっけ」という言葉はこぼれる。それと一緒に「興味がなかったから、顔もかたちも思い出せない」という本音も出てくる。
そう言ってしまう度に、目の前の大事な人たちは酷く失望したような、傷ついたような顔をする。
そういう時、いまさら嘘とも冗談とも言えなくて、どうしたらいいか分からなくなる。

傷つけられてきた、という被害者意識が、あまりに強いのだと思う。
ずっと傷つけられてきたし、誰も助けてくれなかった。
ようやく大切に思う人たちができても、その思いはなかなか消えない。

長い時間をかけて克服するべき問題なんだと思う。
失言は多い。すごく気をつけていたつもりでも、急に怒られることもある。
死ぬまでは長いはずなので、それまでに少しでも改善できればいい。

とりあえず水を飲む。風呂は嫌いだけど水を飲むのは好きだ。これだけは一生変わらなければいいと思う。