どうしようもない話

すごいしんどくて、バイト帰り、スーパーで大量に食材を買った。
でも買っただけで満足してしまって、というか、疲れてしまって、今からどうしようか。

メンタルが元々すごい弱い。あと外的刺激にとても弱い。
すぐ疲れる。

本職で、少なくとも30歳以上年上の人とトラブっていて、それにすごく参っている。
先々月からトラブっているので、その人からメールが来ただけで頭が痛くなる。
年齢って権力だと思う。高校生の頃は、先生の方が生徒より立場が弱いと感じていたので、逆じゃないの?と思っていたけど、大人になって、年齢の暴力をよく感じるようになった。一方的な尊敬を求められるけど、それは健康な関係性じゃないと思う。
すごいしんどい。もう勘弁してくれ。

本読んだ話①

都民なので今日は選挙に行ってきて、選挙行く前と行った後に、親友から貰ったさくらんぼをつまみながら、又吉直樹の「劇場」を読んだ。

エッセイや論文っぽい本は好きだけど、小説は苦手だ。
行間に作者がふっと立ち現れる気がして、ついつい「ああこの作者はこういうプレイが好きなのか…」って作中で起こる事象と作者を関連づけてしまって辛くなる。

又吉直樹の火花は、出版された直後に読んだ。
火花は、好きなだけ筆者と関連付けてください!というか僕です!!みたいな感じだったからすごく楽に読めた。

そもそも、10代の頃、お笑いが好きだった。最初はネタだけ見ていたけど、オタクなので、だんだんと好きな芸人のブログを追ったりするようになった。
一番読んでいたのは、オードリー若林のどろだんご日記だった。ある日の記事の本文が「地球割れろ」だけで、それがすごい鮮烈だった。

10代の頃、家にも学校にも居場所もない、コミュ障で空気が読めない、自意識大爆発で友達もいない、とないない尽くしで鬱々とした日々を過ごしていたから、彼らのそういうロックな日記を読んで、こういう人も世の中に存在するなら、もうちょっと生きてみるか!と前向きな気持ちになった。

ピース又吉はブログよりも、当時吉本から発行されていた雑誌に載っていた東京百景の連載が好きだった。学校帰りの駅の本屋で、金がないからそこだけ立ち読みしていたのを覚えている。くるりの「東京」を聴く度、ぴょんぴょんと飛び跳ねる又吉が脳裏に浮かぶ。
鬱屈とした10代の時期に、寄り添ってくれたのが、オードリー若林であったり、ピース又吉たち、吹き溜まっている芸人たちの鬱屈とした文章だった。
私が火花を読んだ時にひどく胸を打たれたのは、彼の文章に救済されていたから、というのもあると思う。
もちろんそうでなくても、最後、先輩の神谷が豊胸手術をしてしまったシーンは本当に訳が分からなくて涙が溢れた。でもやっぱり、文章にこびりついている血や肉の跡みたいなものがなかったら、火花を良いと思わなかった気がする。自意識も痛々しさも昏い時代も突きぬけて、すべて肯定してみせる潔さが美しいと思った。

劇場も、自意識に足を掬われたり、他人から評価されない、いわゆる“成功できなかった”人生を肯定しようとする作品だと思う。この物語が終わった後、最後に主人公がヒロインに語った、ララランド的if人生を歩む可能性は0ではないけど、そうならなくてもたった一回限りの人生は等しく美しい。

全体的に、何か大きな出来事が起こったわけでもなく、主人公最初と最後でなんも成長してなかったから、ヒロインに後半「わたしもう27だよ?」と言われて「もうそんなになったの!?」とびっくりした。
でも、多分その成長しなさが大事なんだろうな。火花も確か、神谷全然成長してなかったし(豊胸はしたけど)。むしろ本谷有希子の小説みたいに、そんな簡単に人間変えられるわけねえだろうが!っていうことなんだろうな。
でもまあ、ワガママだよなあ。なんやかんや変えられない・変わらない自分に対しての自己愛がすごい。周りにいる、言うことめっちゃ面白いけど超ワガママな奴らを投影してしまって、まあそういうやつと付き合うとこうなるよな…と思った。
なんかこの記事書き出して、知らん間に4時間くらい経ってるので、思い出したら明日また書く。過去の思い出なんてかかんときゃよかった。

火花の時も思ったけど、ヒロインがやったらいい子で、あと美人で、ポパイ読んでるような男子はこういう女の子を求めているのかな、と思った。こういう女の子か、めっちゃ振り回してくる女の子かな。主人公が支配欲に駆られてDVっぽくなってる内面描写がリアルで良かった。

朝の話②

昨日じつは夜に書こうとしていて、でもテーマが自分の恐怖症についてだったから思いの外長くなってしまった上、書きながら終わりというか結末を考えていたけど恐怖症に終わりも結末もなくて、ただ書くことでぼんやりとこわいものが具体的になってきてそれはそれでよかったけど記事にはならなかった。

今日はまだ体調がいい。体調がいいうちにとっとと外に出て外で作業しよう。

アイスを寝起きに食べたから、口の中が腫れている。甘いものを食べると口の中が腫れる。

じとじとと雨が降っている。

朝の話

はじめて朝に書く、というのも起きたら気持ちが落ち込んでいて、というのも、バイトある日は家をでる20分前起床なので、考える間もなく動き出すし、昨日は朝からお仕事だったので、同じくそんなに色々考えをめぐらす時間がなかった。

朝、ちゃんと過ごしたい。多分すごい低血圧で、10年前に肺炎で入院してから立ちくらみ病(あれ、なんていうんだろう)になって、入院してた頃思い出すと当時大変だったな、だめだ、思い出おもいだすとどんどん思考がずれていく。

思い出おもいだすととても海外行きたい。昨日留学してた頃を思い出して、仲良かった子たちは大体みんなその国残ってたからすごいうらやましかった。うらやましいというか、かれらと一緒にいたかった。
お金がほしい。日本はさみしい。こう思うのも朝だからなのかもしれない、もう11時近いから朝じゃないか。
孤独でいいとは思うし、一個の個体である以上、孤独はまぬがれない。肉体も経験もシェアなんかできないし、シェアできてたまるか、と思う。この、つらい、かなしい、さみしい気持ちは誰にも侵されない。

むかし好きな人がいて、その人がいなくなってしまう時、すごく泣いたのは、どうして私はその人と同じ肉体じゃないんだろう、と思ったからだった。赤ちゃんじゃないけど、わたしはその人と自分を上手く分けられてなくて、だから、身体がちぎれてしまうような痛みをかんじていた。でもその痛みだって、私のものだけでしかなかった。その人も別れは惜しんでいたけど、痛みを感じて泣いていたのは私だけだった。初めて好きになった人だったから、情緒も糞もない、本当に赤ちゃんみたいな執着と愛情。
それで、本当に肉体と精神、人間はそのふたりぼっちでしかないことに気付いた。わたしは溶けてあなたにはなれない。あなたの一部になって、優しい、柔らかい満ち足りた気持ちで眠りにつけない。

書いてたら落ち着いてきた。ずっと、オフラインでは書くことを続けてきたけど、だれもみてないとはいえ、オンラインで書くのもいいな、パッケージ化されるからよい。達成感がある。

昨日はお仕事したけど、今日から3日間はフリーデイなので、仕事しつつのんびりしよう。今日は図書館でもいこう。身体を大事に。

今日はつらくなかった話

ここのところ毎日ブログ書いてて偉いと思う。でも誰にもブログやってること伝えてないので、インターネットの宇宙を彷徨う文章群だ。超漂ってる。

昨日は非常につらくて、今朝もまだつらかったんだけど、でも今日あった打ち合わせが楽しかったので今はさほどつらくない。
楽しかった、というのは、自分の分野について好き勝手楽しく喋り散らせたからだ。エゴイスティックな悦びだなあ。

「雑談が本当にできない」というのは、相手が求めている情報が分からないからで、友人に「コミュニケーションって別に有益な情報の交換会じゃないからね」と言われてそれはまあ理解しているんだけど(この友人の話から推測するに、重要なのは“感情の分かち合い”なんだと思う。えーすごい!うわーやばいね!げーやっちゃった!わあかわいい!みたいなことかなあ、これらの情報を他人とシェアし続けることで、人は楽しくなるのかな…)、この丸括弧の中で、結局全然理解できていないことが分かったので、多分まだそこがよくわかってないから雑談がいつまでたっても下手なんだと思う。感情の分かち合いの意義。

でもその代わり、自分の本業の、学術的な話とかなら、人とうまくコミュニケーションできることが分かった。例えば今日。今日は正直一方的に喋りすぎて、相手の話遮りまくってて全然うまくいってなかった。私の公開オナニーみたいになってて良くなかったと思う。でも、その話の前の雑談(最近どうですか〜みたいな)の時のしどろもどろさというか、空気読めてない感じよりかは、心証良かったんじゃないかな。どうだろう。それは主観的に判断できない。
というか、話してて楽しかったし、相手も好意的な言葉を返してくれた(でもすごい褒める人だったから、どこまで本当かはわからないし、もう片方の方は途中から「何言ってんだコイツ」みたいな顔してた)。

とにかく、昨日までのコミュニケーションつらい、こわい、何が正解か分からない状態から、コミュニケーションたのしい!しゃべるの楽しい!に変わったので、こういう体験を積み重ねることができたらいいんだろうなあ。難しいな。

一昨年くらいに留学してたときは、しゃべるのめちゃくちゃ楽しかったんだけどなあ。ろくに知識もない世界情勢とか国際問題について、イタリア人とロシア人の女の子とベラベラしゃべってたなあ。あと、前向きなキャリアの話できたから楽しかった。あの頃は本当に楽しかった。彼女らは元気だろうか。

今日は辛かった話

今日は辛かった。そもそも体調が悪く、立ちくらみがひどくて朝から辛かった。退社後にご飯の約束していた、仲のいい社員さんが今日に限って機嫌が悪かったのも辛かった。ご飯中も、何話したらいいのか分かんなくて辛かった。

「やりたいことやっててすごいね〜」と言われて、ありがとうございますと返したら場がしんとしたから、もしやさっきのは嫌味で、やりたいことやってるけどでも金ないし世間体やばいっすよ的自虐話が求められていたのか…?と変に勘繰って話し出したら全然その話興味なさそうで、何て返しが求められていたのか、何を話したら盛り上がったのかまったく分からなくてきつかった。単に二人とも体調がそんなに良くなかっただけだろうけど、本当にしんどかった。雑談が苦手で、目的のはっきりしていない会話ができない。

コミュニケーション、できないわけじゃないけど、したくない。

きつい。つらい。楽しくない。愛想笑いしたくない。

よく、付き合いの浅い女性を褒めてしまう。容姿とか性格とか、良いところを見つけて徹底的に褒める。一応本心からではあるけど、こう言われたいだろうとか、こう言われたら気持ちいいだろうとか、気分良くなるだろう、っていう、これだけ書くと嫌な人間みたいだけど、コミュニケーション苦手人間なりに、うまくコミュニケーションできるように、好きになってもらえるように、計算して褒めていることが多い。結果、思惑通りすごい心を許してくれたり、大体それでその人の愚痴を聞くマシーンになっちゃうんだけど、そういう処世術をずっとやってきた。褒めまくる処世術。
今日帰りの電車で、実はそうやって私が人を褒めているように、私が褒められたいだけなんじゃないか、って気付いて、無性に虚しくなった。

もう、なんか、愛されたい。無条件に愛されたことなんか、赤ん坊の頃以来ない気がする。
私も無条件に褒められたい。いいところを見つけて欲しい。どうでもいい愚痴を零したい。愛されたい。絶対に嫌われない安心感がほしい。私みたいに見せかけの愛情かもしれないけど、それでもいい。心を置きたい。

でも最近、自分が挫けずここまでこれたのは、頼れる人間が自分しかいないからじゃないかと思うようになった。
自分と性質が似てて、駄目になってしまった人たちと自分を比較したとき、彼らと違う点は、私には甘やかしてくれる人がいない、ということだ。このことを思うと、頼れる人がいないことに絶望しないで済む。
多分どうでもいい愚痴を零したり、無条件に甘やかしてくれる相手が居たら、その瞬間駄目になってしまうと思う。
だから、死ぬまで一人で頑張ろう。

一人っきりのときしか、自分のことを大事にしてあげられない。
猫がほしい。体温がほしい。

とにかく今日はつらかった。一滴も飲めないお酒が飲みたいくらいつらい。嫌いなシャワー浴びて、お絵かきでもして、寝る。

風呂嫌いな話

風呂に入るのが昔から好きじゃない。めんどくさいのもそうだし、嫌悪感がある。多分溺れたら死ぬからだと思う。

シャワーだけでも億劫だ。水が嫌。水にあたるとげんなりする。
だから平気で3日は入らない。近所に住む親友に「そろそろ臭いよ」と言われたら入る。

冷え性なので、冬は湯船に浸かってからじゃないと眠れない。それが嫌で嫌で堪らなかったので、夏が来てハッピーだ。嬉しい。水に浸からなくてもよくなった。でも今度は匂い問題が発生した。私は自分の匂いに慣れているので全然いいんだけど、親友がちょっと嫌な顔をする。職場は、気を使い合う関係性なので、まだ何も言われてないのでよしとする(定期的に親友からジャッジを受けているので、ハラスメントにはなってないと願う)。

江國香織のエッセイを読んでいると、湯船にほとんど住む勢いで風呂好きとのことで、それを念頭に置いて改めて彼女の作品を読むと、ちゃんと風呂に入っている人の書く文章だなあと思う。湯気と石鹸の匂い。

最近、何か嫌なことの前(メールの返信、買い出し、作業)にブログを書くようにしてるんだけど、これを書き終わったら風呂に入る。気が進まない。